響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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砧
曲名: 砧《きぬた》
作者: 世阿弥
季節: 秋(旧暦9月)
場所: 筑前・芦屋
分類: 四番目物・二場
上演時間: 約1時間45分
上演データ: 響の会 第15回研究公演・1部
2001年10月20日(土)
銕仙会能楽研修所
シテ・梅若万紀夫(現 万三郎)


響の会 第26回研究公演
2005年9月2日(金)
銕仙会能楽研修所
シテ・観世榮夫
※ 袴能/小書「梓之出」
砧
シテ・観世榮夫〔撮影:吉越立雄〕
●あらすじ
文・長谷部好彦(響の会通信編集委員)
 九州蘆屋から訴訟のため上京している男。はや三年が過ぎ、「年の暮れには帰る」と伝えるため妻の下に侍女・夕霧を遣わす。妻は何の知らせも寄越さなかった夫の薄情を恨み、夕霧に強く当たる。恨みを述べ、悲しみに暮れる妻。そこに里人の砧打つ音が聞こえてくる。妻子の思いが、砧の音に乗って遠く離れた胡国の蘇武(中国前漢武帝の臣)に届いたという故事を思い出した妻は、自ら砧を打とうとする。秋の夜長に、虫の音、夜嵐、そして砧の音が響く。そこへ今年も帰れぬと夫からの使者が来る。妻は絶望の余り病に伏し死ぬ。
 急遽帰国した夫は、梓弓で妻の霊を呼び供養を始める。現れた妻の霊は、業にまで深まった恋慕の情、休まることない地獄の苦しみを訴える。しかし夫の弔い、法華経の功徳により成仏を果たすのだった。

〔'05/9/2 第26回研究公演 パンフレット掲載〕
●解説
文・長谷部好彦(響の会通信編集委員)
砧の音、それは歌よりも遠く届く

 訴訟のため、九州蘆屋から上京している夫。妻より年若い侍女・夕霧を伴っているとはいえ、故郷の事心もとなく候という述懐は正直なものだったろう。しかし年の暮れには帰るという言葉が、どこまで実のあるものだったか。どこか根拠の薄い気休めにも聞こえる。妻へのやさしさから出た言葉であっても、その半端さは後に悲劇を生む。
 蘆屋へ使いに出される夕霧。妻に帰省を伝える使者に、同伴している若い女を充てる夫の無思慮。妻の心を害するとは考えなかったのか。都に二人でいる人間(夫と夕霧)の安心と、田舎に一人きり残された人間の孤独との、残酷な断絶が見えてくる。
 いかに夕霧珍しながら怨めしや。夕霧に対する妻の言葉は戦闘的だ。憂きはそのまま覚めもせで。思い出は身に残り。昔は変り跡もなし。生々しい妻の女としての恨み、カラダの記憶を、下品にもならず、ぎりぎりの肉感を残しつつ描く世阿弥の文辞は高度である。
 ふと聞こえてくる砧の音。夕霧も言うようにそれは賤しき者の業。しかし妻子の想いが僻地・胡国の蘇武の元へ砧の音に乗って届いたという故事が、その行為を切実な祈りに結び付ける。単なる引用ではなく、妻の教養と取れば、その性格にも奥行きが見えてこないだろうか。夕霧は砧を拵えて参らせ候べしと言う。妻は砧など見たこともない身分。あれは何にてあるぞ。品格もそこには示されている。もしかしたら夕霧の方は、過去に砧を打つような暮らしをしていたかもしれない。打ったこともない砧を、夫への想いを込めて人生で初めて打つ妻。たどたどしい手つき。ままごとのような、メルヘンのような雰囲気の中で、悲しみが詩情に昇華される瞬間である。ほろほろ、はらはらはら。虫の音。夜嵐。落ちる涙、砧の音。そしてこらえきれず洩れる嗚咽。視覚と聴覚は混濁し、いずれ砧の音やらん。夫をめぐって含むところのある二人が、共に砧を打つのも興味深い。夕霧には妻への、同じ女としての同情・憐れみが芽生え、妻には夫と関係あるかもしれぬ夕霧が、孤独を慰める相手と変じてくる。どこか母と娘の関係めいてくる。
 突如知らされる夫の帰省の遅れ。怨めしやせめては年の暮をこそ。偽りながら待ちつるに。偽りながら待ちつるに。裏切られることは悲劇ではない。予想通りの事態に落ちてゆく事が何より悲劇的なのだ。涙の中すっかり己の弱さをさらしていた妻は、その衝撃に耐えられない。つまり死んでしまう。
 妻を供養しようとする夫。遅すぎるんだよ!その、決定的な遅れに、妻は、霊となって怒りのほとばしりを、愛をぶつけるのだ。砧の音に妻の思いを感じた蘇武は、旅雁に手紙を託したと言う、それなのに、なぜ・・・。君、いかなれば旅枕。夜寒の衣うつつとも。夢ともせめてなど、思い知らずや、怨めしや。詰め寄る妻、合掌する夫。ごめんなさい。すみません。さようなら。ありがとう。全ての言葉が湧き出る静かな終曲に、我々は何を聞き取ることが出来るだろう。

〔'05/9/2 第26回研究公演 パンフレット掲載〕
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