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曲名: |
杜若《かきつばた》 |
作者: |
不詳(世阿弥説・金春禅竹説あり) |
季節: |
夏(旧暦4月) |
場所: |
三河・八橋 |
分類: |
三番目物・一場 |
上演時間: |
約1時間20分 |
上演データ: |
第7回
響の会
1997年4月25日(金)
国立能楽堂
シテ・西村高夫
第15回 響の会
2004年6月26日(土)
宝生能楽堂
シテ・西村高夫
※ 小書「恋之舞」
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西村高夫〔撮影:吉越研〕 |
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●あらすじ |
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文・表きよし(国士舘大学21世紀アジア学部教授) |
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東国へ向かう旅僧(ワキ)が三河の国まで来ると、杜若が今を盛りと咲いている。美しい花を眺めていたところ、杜若の精(シテ)が里の女の姿で現れる。旅僧がここはどのような場所か尋ねると、ここは『伊勢物語』で有名な三河の国八橋で、かつて在原業平が東下りの途中で「から衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」という和歌を詠んだ所であり、この八橋に心を留めた業平はすでに昔の人となってしまったが、杜若の花が業平の形見のように今も見事に咲いているのだと女は言う。
やがて日も傾いたので、女は自分の家に泊まるよう旅僧に勧める。女の家で旅僧がくつろいでいると、女は美しい冠と唐衣を身にまとった姿となる。粗末な家に住んでいる女が立派な衣服を持っているのを不審に思う旅僧に対し、唐衣は業平が愛した高子の后のもので、冠は業平の形見であり、そして自分も本当は杜若の精なのだと女は言う。業平は極楽の歌舞の菩薩が仮にこの世に姿を現したのであり、その業平が和歌に詠んでくれたおかげで草木までも成仏を得ることができたと杜若の精は語り、冠・唐衣の美しい姿で舞を舞う。やがて夜が白々と明け始めると、「草木国土悉皆成仏」という経文の通り自分も成仏できるのだと言い残して、杜若の精は姿を消す。
〔'04/6/26 第15回 響の会 パンフレット掲載〕 |
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●解説 |
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文・表きよし(国士舘大学21世紀アジア学部教授) |
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作者不明の三番目物だが、金春禅竹作とする説が有力である。『伊勢物語』九段を題材とし、「かきつはた」の五文字を句の上に据えて旅の心を詠めと言われて在原業平が詠んだとされる和歌を中心としながら、業平の愛した女性の話や業平が実は歌舞の菩薩であったことが物語られる。中世には歌人たちによって『伊勢物語』の様々な注釈書が作られ、杜若は高子の后の形見であるとする説や、三河の三や八橋の八は業平が愛した女性を表すという説、業平は歌舞の菩薩であるという説などが流布するようになった。本曲もそうした中世の伊勢物語理解に基づいて作られた作品である。シテは途中で唐織から初冠・長絹の姿に着替えるが、舞台上で装束を替えることを「物着」と言う。また本日の上演は「恋之舞」の小書が付くため、初冠の由来や業平の東下りの様子などを物語る部分が省略されて序ノ舞を中心に据えた構成となり、序ノ舞も橋掛りでの型が入るなど、通常とは違った演出となる。杜若の精の美しい姿に業平や高子の后の姿が投影される序ノ舞が重要な見所となる作品である。
〔'04/6/26 第15回 響の会 パンフレット掲載〕 |
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