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曲名: |
井筒《いづつ》 |
作者: |
世阿弥 |
季節: |
秋(旧暦9月) |
場所: |
大和・在原寺 |
分類: |
三番目物・二場 |
上演時間: |
約1時間55分 |
上演データ: |
第14回
響の会
2003年9月27日(土)
宝生能楽堂
シテ・清水寛二
響の会 第30回研究公演
2006年12月14日(木)
銕仙会能楽研修所
シテ・清水寛二
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清水寛二〔撮影:吉越研〕 |
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●あらすじ |
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文・表きよし(国士舘大学21世紀アジア学部教授) |
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旅僧(ワキ)が奈良の長谷寺へ向かう途中に在原寺を訪れて在原業平夫婦のことを弔っていると、深夜だというのに里女(前シテ)が現れ、塚に水を備えるなどして熱心に回向を行う。旅僧が声をかけると、この塚は有名な業平のものなので、こうして弔っているのだと言う。里女は旅僧の求めに応じ、幼馴染だった業平と紀有常の娘が恋を貫いて結婚した話や、結婚後業平が別の女の許へ通うようになったが、妻の誠意に心打たれて妻の許へ戻った話などを語る。里女がはるか昔の話を詳しく知っていることを不審に思った旅僧が追及すると、里女は自分が紀有常の娘の霊であることをほのめかして姿を消す。毎日在原寺に参詣しているという里人(アイ)から業平夫婦の話を聞いた旅僧は、先ほどの里女はやはり紀有常の娘の霊であると確信し、霊が再び姿を現すのを待つことにする。やがて業平の形見の着物や冠を身にまとった有常の娘の霊(後シテ)が現れ、業平のことを偲びながら舞(序之舞)を舞う。井戸に自分の姿を写してみた有常の娘の霊は、我が姿ながらも業平の面影が感じられると言ってさかんに懐かしむが、夜が明け始めると再びいずこへともなく姿を消していくのだった。
〔'03/9/27 第14回 響の会 パンフレット掲載〕 |
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●解説 |
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文・表きよし(国士舘大学21世紀アジア学部教授) |
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平安時代に作られた歌物語『伊勢物語』の二十三段を中心的な題材とする世阿弥作の三番目物。中世になると『伊勢物語』は歌人たちに重視され、様々な注釈書が作られた。幼馴染の男女が恋心を抱き続けて夫婦となるという二十三段の話を存原業平と紀有常の娘のこととするのは注釈書に見られる説であり、世阿弥はこれらの注釈書に示されている中世の『伊勢物語』理解を踏まえながらこの作品を作ったと考えられている。世阿弥の芸談を息子の元能が書き留めた『申楽談儀』には「井筒、上花也」とあるので、世阿弥の自信作だったと言えよう。室町末期には、有常の娘の心情の激しさを強調する演出も存在したらしいが、死んでもなお夫への愛を持ち続けている有常の娘は、永遠の愛を澄み切った心でかみしめ楽しんでいるようにも見える。井戸を現す作り物が舞台に置かれることで、在原寺の秋の夜の光景が明らかに浮かび上がり、そこでシテが有常の娘の愛をどのように表現するのかが注目される作品である。
〔'03/9/27 第14回 響の会 パンフレット掲載〕 |
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