響の会〔清水寛二・西村高夫〕
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花筐
曲名: 花筐《はながたみ》
作者: 世阿弥
季節: 秋(旧暦9月)
場所: 越前・味真野
大和・玉穂の都
分類: 四番目物・二場
上演時間: 約1時間20分
上演データ: 響の会 第5回研究公演
1997年12月20日(土)
銕仙会能楽研修所
シテ・山本順之


響の会 第27回研究公演
2005年10月25日(火)
銕仙会能楽研修所
シテ・西村高夫
花筐
西村高夫〔撮影:吉越 研〕
●あらすじ
文・長谷部好彦(響の会通信編集委員)
 春の越前(福井県)味真野。男大迹皇子からの使者が到着します。武烈天皇の後を継ぐべく都へ向かった皇子は、故郷・味真野に最愛の女性照日ノ前を残したままでした。使者は照日ノ前に、男大迹皇子からの手紙と愛用の花筐(花籠)を渡します。その手紙に涙した照日ノ前は花籠を抱いて、一人寂しく郷里へと帰ってゆきます。〈中入〉
 時はやがて秋。大和(奈良県)では継体天皇(かつての男大迹皇子)が、玉穂の地に新たに都を造営中。そして臣下を引き連れ紅葉狩へ向かいます。一方照日ノ前は男大迹皇子を思うあまり、越前から侍女を連れて都へ向かいます。ときには南下する雁を頼りに、琵琶湖を越え、大和に至った照日ノ前たちは、継体天皇の行列に鉢合わせます。行列先をけがす狂女と見なされ、天皇の臣下によって侍女の持つ大切な花籠を打ち落とされた照日ノ前は「そなたこそ物狂いよ」と、さらに昂ぶります。すると天皇の近くで舞うよう仰せが下り、漢の武帝の后・李夫人の曲舞を自らの思いを込めて舞います。そしてその花籠を見せるよう命じた天皇は、ようやくそれが正に照日ノ前に与えた花籠だと気付き元の様に側近く置こうと誓い、照日ノ前たちを伴い一行は都へ帰って行くのでした。

〔'05/10/25 第27回研究公演パンフレット掲載〕
●解説
文・黄伝次郎
愛ヲ取リモドセ

 対等であること、いや、対等であろうとすること、それが問題だ。照日の位置を考えてみよう。二つの言葉が重要である。能冒頭で男大迹皇子に仕える臣下は、「ご寵愛あって召し使われ候照日ノ前」と言う。終曲部には「おん玉章の恨みを忘れ、狂気を留めよ元のごとく、召し使わんとの宣旨なり」とある。この能が始まっても終わっても、照日は王に従属する身分であることは変わらない。だが、果たしてそうか? 越前味真野から大和まで突き進む照日。帝の紅葉狩に乱入する照日。花籠を落とされるや、「そなたこそ物狂いよ」と切り返す照日…。
 照日の異様なまでのエネルギーの背後には、その越えがたき王との関係を、どうにか対等に持ち込もうとする執念がある。何ゆえに王に伍そうというのか? 口惜しさのため。あっさりと、紙くずのように捨てられ、適当な手紙でオトシマエを付けようとした、男大迹への報復のため。プライドは踏みにじられたのだ。能の中入で、継体帝となった男からの手紙(玉章)と花筐を「抱きて」故郷に一旦は帰る照日。それは春の日。
 次に照日が現れる後場は、紅葉の季節。その、能の中に描かれていない数ヶ月が重要だ。照日は、花籠を、じっと見詰めていたのだ。こんな物が何になる? カタミ(形見)はカタキ(敵)へと昇華されつつあった。そして、至上命令が下る。アイヲ、トリモドセ。愛とは、憎悪の一形態である。 だが、照日の愛とは、単純な仕返しに収まるものではない。無理にかつがれるように越(北陸)の王から中央・大和の帝となった継体。反対勢力との抗争。車の中一人きりの孤独。そのことを照日は誰よりも理解していた。照日は〈クルイ〉の中で、継体をフォローする言葉を投げかける。「この君いまだその頃は、皇子のおん身なれども、朝ごとのおん勤めに、花を手向け礼拝し、南無や天照皇大神宮、天長地久と、唱へさせ給いつつ」。皇祖神への信仰を、第三者・照日によって証言された継体。それは周囲に控える大和古参の重臣の耳に、どのように響いたか? 何より、継体の耳にはどう響いたか? コノ女ハ、俺ヲ、助ケニ現レタノカ? 古来、この能の物狂いは、偽りの物狂いだとも言われる。真の物狂か、まっ赤な偽物か。分からなくなった帝は、女を、照日をもっと間近に見たく思う。「いかに狂女宣旨にてあるぞ、おん車近う参りていかにも面白う狂うて舞ひあそび候へ」。
 ではなぜ帝の前で、照日は「李夫人の曲舞」を舞うのか。衰えた容色を恥じて漢の武帝に姿を見せることなく果てた李夫人。会わないことで、帝から至上の愛を獲得するという戦略。これを、照日から王への最後通牒と取ることは深読みか。私を取り戻さないと、あなたはきっと後悔なさいますよ、と。反魂香焚いたって、私は帰って来ないのよ。  
 この物狂いは装いか? ギリギリの復活折衝を、衆人監視の中、帝に吹っかける照日。それこそ継体は脱帽するしかない。「おん玉章の恨みを忘れ、狂気を留めよ元の如く」。見事な降参である。
 照日の繊細さとふてぶてしさと大いなる愛と。それらは全て本日のシテの個性の中にある。いかなる女が、立ち現れるのか。

〔'05/10/25 第27回研究公演パンフレット掲載〕
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